燕物産株式会社、八代目捧吉右衛門の想いを受け継ぎ、 新潟県燕市で100年愛されるカトラリーづくり。

 

 

燕物産株式会社は、初代捧吉右衛門が1751年(宝暦元年)に金物屋を創業。以来代々金物商を営み「金物屋の吉右衛門」から屋号「かなきち」と名乗り、捧吉右衛門商店として銅器などを江戸へ、江戸からノコギリやノミ、マサカリ、オノを地方に売っていました。

1911年(明治44年)八代目捧吉右衛門が、東京銀座の十一屋商店(じゅういちやしょうてん)から洋食器の注文を受け、これが新潟県燕の金属洋食器発祥のきっかけになりました。

 

燕物産株式会社

代表取締役 社長 捧 和雄

 

1. 八代目捧吉右衛門さんは、どんな方でしたか?

2. 燕物産の人気カトラリーは?

3. カトラリーはオートメーションで作られていると思っている方がいますが?

4. 100年愛されるカトラリーとは?

 

 


1.八代目捧吉右衛門さんは、どんな方でしたか?

 

恩師の本間仁吉先生の口ぐせ「まじめに働け」の教えを守り、怒ることなく温厚誠実。正直に約束を守れと教えられました。酒・煙草を嗜まず、健康第一に規則正しい暮らしでした。

60歳代から毎年、聖路加病院(東京都中央区)の人間ドックで1週間の検診を受け、90歳まで現役社長を務め、「長生きは偶然ではない。」の言葉を残しました。主治医の日野原先生に「これから健康で長生きするにはどうすれば良いですか。」と尋ねたところ、「それは、捧さんに聞かないと分からないね」。先生の答えを嬉しそうに話していました。

 

八代目捧吉右衛門(以降八代目)が新潟県燕の金属洋食器発祥のきっかけを作ったと言われていますが、本格的に金属洋食器製造に着手したのが1914年(大正3年)のこと。七代目捧吉右衛門と今井家から養子に入った栄松さんの捧三兄弟が、「燕物産株式会社」の基礎を作りました。三人のそれぞれの販売、財務、製造と役割分担することで金属洋食器を製造・販売を専門とする会社に育てました。

 

八代目は、主に海外販売を担当し「進取の精神」で金属洋食器を海外に輸出しました。日本のカトラリーは、海外の模倣から始まりましたが、その本家へ日本製のカトラリーを輸出しました。現在でこそ、グローバル企業など海外輸出が普通になっていますが、当時としては、新進気鋭な存在だったと思います。

 

私が会社に入ったのが1978年8月(昭和53年)、八代目も現役で仕事をしていました。これからはコンピューターの時代だと、学校を燕に作りたいと言っていました。常に仕事のことを考えていた祖父で、昔話や自慢話をしない人でした。「何もない町にこれだけの産業ができた。」の一言が記憶に残っています。

 

月桂樹Laurel

 


大正初期に作られた

月桂樹Laurel

 

七代目 捧吉右衞門

国内販売担当

 

八代目 捧吉右衞門

輸出担当

 

捧 栄松

製造主任

 


 

2. 燕物産の人気カトラリーは?

 

八代目が手がけた現在も販売を続けるカトラリーが「月桂樹 Laurel」です。今も販売を続けるロングトセラー商品です。大正初期に作られたと記録にあるだけで、正確な詳細は分かっていません。八代目が出版した本の記録をつなぎ合わせると1920年(大正9年)頃ではないかと推測しています。現在の上野精養軒さんのために作られたカトラリーだと思います。上野精養軒さんでは、現在も愛用していただいております。

 

先代の故9代目捧吉右衛門が社長時代の1993年にコンセプトをエレガント、モダン、エスニックとして「アルコ」、「コルダ」など6パターンのオリジナルデザインを開発し、ホテル・レストランショーに展示しました。この時が輸出から国内向け商品に転換した契機でした。

 

その後、2003年に「ニューポート」に始まり、2007年「パール」、2008年「ブランチ」、2009年「ヴォワージュ」、2010年「ジィーン」と毎年、斬新なデザインを開発しました。「細く、長く、柔らかく」のコンテンポラリーなデザインがヨーロッパからの流行として、業務用市場で現在もベストセラーとなっています。

 

これまでは、場所を選ばない定番デザインの「ニューポート」が主流でしたが、近年はシンプルなデザインが美しい「ブランチ」が人気です。10年20年使い続けていただけるデザインが主流です。息の長いデザインでなければ業務用カトラリーとして通用しません。そういう意味では、約100年愛され続けている「月桂樹」は、日本カトラリーの代表的存在になりました。

 

 

 


ブランチBrunch

 

ヴォワージュVoyage

 


(左)ニューポートNewport (中)パールPearl (右)ジィーンZehn

 

 

 

3. カトラリーはオートメーションで作られていると思っている方がいますが?

 

材料を入れるとオートメーションにより完成品が出てくると思っている方が多いと聞きます。今回ご覧いただいたフォークの作業では10回の工程を経て包装されて完成です。

 

高級な洋白となれば、更にメッキ加工や磨きの工程が増えます。どの工程も職人技がなければ完成しません。10年単位の経験で一人前になる世界です。

 

 


1. 材料の切断

 

2. 地抜

交互に抜いていきます。

見本はスプーンです。

 

3. ロール

先だけをローラーにはさんで潰します。

 

4. 半キリ

刃部分の全体の形を整えます。

 


5. 刃抜

フォークの刃の形に抜いていきます。

 

6. 柄押

柄の部分の模様を型でプレスします。

 

7. 刃押

刃の部分のカーブを作ります。

 

8. 研磨

自動機械研磨と手磨き研磨があります。

 


9. 洗浄

磨きが終わったフォークを一本一本並べて洗浄機へ。

 

10. 検品

一本一本厳しいチェックを行います。

 

11. 包装

袋詰め後、箱に詰めします。

 

完成

 


4. 100年愛されるカトラリーとは?

 

ヨーロッパでは、100年以上続く人気のカトラリーが有ります。クリストフルは1830年創業、燕物産が最初にカトラリーを作ったのが1911年ですから80年以上歴史が古く「スパトゥール」は1862年発売で、クリストフルのファーストカタログにも掲載されています。1876年発売の「パール」は現在も代表的な商品です。

 

新しいカトラリーを作るときは、その先の流れを読み次の定番として存在し続けるかを考えます。最近はカラーカトラリーが人気ですが、弊社もオリジナルカラーの「シャンパンゴール」や「金」メッキのカトラリーも作っていますが、やはりシルバーの輝きが好きですね。

 

弊社の「月桂樹」は発売から約100年たちますが、日本での洋食創世記を支えた国内産洋白カトラリーとしてホテルやレストランに広く普及しました。父、故九代目捧吉右衛門は、「月桂樹は景気不景気に関係なく売れるデザイン。月桂樹の細かな紋様が光にきらきら輝く美しさが魅力だ。」と話していました。

 

業務用としてのカトラリーに求められるのは、当然使い易さだけで無く、場所によっての気品や存在感、定番としての完成されたデザインとメンテナンス可能な性能が必要です。10年後に欠品を補充できなかったら業務用とは言えませんからね。

 

100年愛されるカトラリーというのは、定番としてのデザイン力が求められます。これまでの金属洋食器は、デザインやサイズがヨーロッパの模倣でした。日本でも100年洋食器を使用しています。これからは、日本人の感性にあったデザイン性と機能性を追求し、次なる100年に向けて新潟県燕から発信して行きます。

 

 

 

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燕物産株式会社

hp https://www.tbcljp.com